晴れのちマンガ

中年視点でマンガを語るブログ

松田聖子から見るジェネレーションギャップ

久々に映画を見た。と言っても、お目当ての映画があって、満を持してというわけではなく、隙間時間に「やってる?」って感じで、映画を見た。わずか2時間足らずの空き時間だったため、見られる映画は限られていた。

 

あさひなぐ」or「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

 

 

の強制二択だった。このブログ的には、マンガが原作である「あさひなぐ」を見るのが正解であろう。しかし、原作をまだ読んでいないため、今回は遠慮させていただいた。いつか原作を読んだあとに、ツタヤりたいと思う。というわけで、消極的選択で「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見ることになった。消極的とは書いたが、わざわざお金を払ってみるわけだから、興味がない作品というわけではない。ただ、気分的に、ハリウッドのスカッとするアクション映画あたりを見たかったわけだ。気分的というのは、もちろん仕事の鬱憤であり、発奮のためである。残念だが、スカッと映画は、また今度としよう。

 

本来なら、「打ち上げ花火、下から見るから?横から見るか?」の感想について、おっさんライクに書き連ねるのがこのブログのわけだが、上映して一ケ月以上たっていることもあり、今回は割愛させていただく。感想も書かないのに、なんで今回ブログで取り上げたかというと、作中でヒロインが口にする「松田聖子」という固有名詞とその認識について、考えさせられたためである。

 

松田聖子は、80年代を代表するアイドルであり、青い珊瑚礁である。松田聖子が、自分にとってのアイドルかと言われれば、若干世代がずれているためNoと言わざるを得ないが、それでも、松田聖子が偉大なアイドルであることに疑いの余地はない。そして、大事なのは、松田聖子は、自分を含めて誰もが知っているアイドルであり、赤いスイートピーであるという自分の認識である。そして、この認識を見事に覆してくれたのが、ヒロインなずなのセリフであり、松田聖子に対する認識である。なずなから見ると、松田聖子は、親がカラオケで歌う昔のアイドルくらいの認識でしかないのである。タイムショック。自分がおっさん化するにつれ、マンガやアニメの登場人物と年齢差が大きくなっていくわけだが、同時に自分の常識や認識が、通用しなくなっているのである。これと同じ現象を「とめはねっ!鈴里高校書道部」でも経験した。私の記憶が確かなら、そのときは、聖子ちゃんではなく、サザンであったと記憶している。映画の内容以上に、この事実に衝撃を受け、映画館から帰還した次第である。

 

そして、帰り際、唐突に理解した。この認識の差が、ジェネレーションギャップになり、若い子と話しが通じなくなっていくんだということを。軽い気持ちで見たはずの映画なのに、重い事実を突きつけられた。

  

ちなみに映画自体は、ラストが若干もやった感じもあり、「君の名は。」に軍配。次回のリメイクは、もしもボックスを使って「映画ドラえもんのび太と打ち上げ花火」にしてみてはどうでしょうか。打ち上げ花火は、テレビで見る派のハレノヒでした。